『評伝シャア・アズナブル 上下巻』

評伝シャア・アズナブル 《赤い彗星》の軌跡 上巻 (KCピ-ス)       評伝シャア・アズナブル 《赤い彗星》の軌跡 下巻 (KCピ-ス)


世に公表された、TVアニメや映画作品から、シャア・アズナブルという人物を再構成する試み。
その筆力には舌を巻くほかない。実在の人物かと勘違いしそうである。
ただその試みは100%成功しているというわけではなく、著者ももどかしく感じているに違いない。
社会学上野俊哉は『紅のメタルスーツ』で次のように書いている。

一連のアニメのキャラクターに対する思い入れは、作家や製作者たちに対するそれよりも大きいかもしれない。とりわけ「紅い彗星」シャアの生き方、彼の社会観、戦争観、人生観、恋愛観・・・には少なくない影響を受けている。(中略)やや奇異な本書のタイトルはシャア・アズナブルに対する絶対的な敬意の表明であるとともに、『紅い眼鏡』や『ケルベロス』の都々目紅一、あるいは元レッドショルダー隊員キリコに対するオマージュでもある


このように絶対的に心酔せざるを得ないシャア・アズナブルという男の存在感、かっこよさ、自分の人生への影響とか色々な要素がないまぜになった思い入れ、あるいは池田秀一氏の声の感触・・・をこの評伝は伝えきれていない。

私の思う、シャアのかっこよさとは、ナンバー2の美学の頂点ということだ。

物語の主役はいつもアムロ・レイカミーユ・ビダンであって、彼は2番手に甘んじてきた。ニュータイプとしても、アムロララァカミーユパプテマス・シロッコの後塵を拝してきた。それでも、冷静に状況を認識し、ときに自嘲気味に己を語ってみせる、その美学が良いのである。僕たちみたいなヘタレがたとえ競争に敗れても、シャアみたいに自嘲してればカッコよいニュータイプになれるかもと勘違いさせてくれるのである。俺の顔がどんなにブサイクでも冷静なシャア大佐のセリフを呟いてみれば女の子にもてたりなんかしてー、という夢を見させてくれたのである。あるいはペーペーの研修医でオーベンの操り人形に過ぎなかった時代に自分の患者を失いそうになって、「まだだ、まだ終わらんよ」と呟いてみたことがなかったとはいわせない。

いやいや大佐をそのように矮小化して語るのは正しいことではないな。
ええ、この評伝は力作ですよ、ええ、ええ。


紅のメタルスーツ―アニメという戦場

紅のメタルスーツ―アニメという戦場