『グラン・トリノ』

許されざる者』以降、誰も許さないしまた自らも許されることなど望んでいないという厳しい作品が多かったクリント・イーストウッドの最新作である。

しかし、本作はユーモラスで楽しい映画だ。イーストウッドはコメディもできるのだ。

以下ネタバレ。


物語は主人公を許されざる者として出発する。神父に冷淡なのもいつものパターンだ。そして神父に朝鮮戦争での人殺しについて「強いられてでなく、自らやってしまったということが恐ろしいのだ」と述べる。ああまたこの人は人間がこの世にあることの不条理を突き付るのかと観客は覚悟するのである。

しかしそうはならなかった。すべてを許すのである。最後には教会で懺悔し、自分をも許そうとする。俺は教会に彼が現れるシーン泣いたよ。『ダーティーハリー』で鉄橋にハリーが仁王立ちして現れる場面を思い出したよ。クライマックスで、ギャングの家に向かう時、我々はいやでも『許されざる者』を思い出すが、全く異なる結末には、チンピラたちをも許そうという態度を感じるのである。

そうしてラオス人や神父など若い人たちに希望を託して映画は終わるのだ。『チェンジリング』も希望にあふれる映画だったが、本作はそれ以上だ。