今日はクソ長い手術の麻酔であった。
導入、ライン確保などの前戯に時間がかかるも、意外とあっさり終わった。
術者が良いと麻酔もラクチン。


早く終わったから、レイトショーに出動だ。
映画を見るのは私にとっては極めて個人的な体験であって、基本的に誰とも共有できないものだ。だから一人で見に行くことがほとんどである。だが今日は嫁を連れて行かないわけにはいかず、おデートさんであった。
嫁は、「パイレーツなんちゃら」とか「ゲドがどうした」などを見たがったが、このストレス満点な情況で(昨日と今日は平和だったが)、そんな能天気な映画を見る気にはなれない。ま、そんな情況だから能天気な映画がいいという考え方もあるわけだが。

 『ユナイテッド93』


登場人物に近づきすぎるでもなく突き放すでもない絶妙なカメラの距離感が気持ち良い。管制官たちの何人かは本人ってのも嬉しい。
ドキュメンタリータッチでありがなら、最小限の盛り上げ演出があっていいね。ただカメラは起こることを追いかけるだけで、メッセージもなにもあったものではない。だがこの映画にメッセージが必要なのか。いや、映画にはメッセージが必要なのか。戦争映画をつまらなくした元凶のひとつは、反戦メッセージを盛り込まなくてはいけないというコンセンサスである。


この映画は、大変な情況で重大な決断を迫られた人々の物語である。乗客らは機を奪い返すという決断を下した。管制官の偉いヒトは全米を飛んでいる飛行機をすべて着陸させるという無謀すぎる決断をくだした。軍人たちは決定的な判断をすることができなかった。そもそもテロリストの断固たる行動が重大な決断に基づくものだった。


カメラは彼らの誰をも褒めたり貶したりしない。その距離感が心地よいのである。