『ゾンビ経済学』

ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

グレート・モデレーション、効率的市場仮説、トリクルダウン、DSGE民営化といった市場原理主義者の大事なツールをクソミソに批判されてます。ポール・クルーグマンのようなリベラルな立場からの批判です。2008年以降の情況をみればこの立場に説得力があるのは当然です。市場にまかせるか、政府が積極的に介入するかの綱引きはこれからも続くのでしょうが、後者がしばらくは強い(というかそうあるべき)のだろうなという印象をもちました。

『金融政策論議の争点』


リフレ派と日銀擁護派の政策論議、なかなか面白い。
ただ10年以上前の本なので結果が出てしまっている論点もある。

例えば白川方明氏の言っていることは頷けるところも多々あるが、金利がゼロ近傍に張り付いているから、あるいは不良債権処理が進まないからデフレ脱却は難しいというものの、リーマンショックによりたんなる言い訳ということが判明した。諸外国はそれらの条件があってもデフレにはなってない。また日本は金融機関のBS毀損は軽微であるのに相変わらずデフレである。

小宮隆太郎にいたっては伊藤敏隆にフルボッコにされており、いまやどちらが正しかったかは明白である。

そして日銀批判の急先鋒である岩田規久男が日銀副総裁に就任した。ずいぶんまえから長期国債買い切りを主張しているが、ついに実行する時がきた。良い結果になるといいな。

 『犯意なき過ち』

検証バブル―犯意なき過ち

検証バブル―犯意なき過ち

こちらもバブルの生成から拓銀長銀の破綻までを検証したもの。春山昇華さんご推奨の一冊。

『流転の果て』は著者の自分語りが混じっていたり、出来事が羅列的に述べられたりしていて、ずいぶんと散漫で読みにくい。それに比べると本書はテーマごとにまとまっていて、かつ客観的なのですんなり頭に入ってくる。しかしマスコミが国民や政治家をミスリードした可能性については一切触れられていないのが残念。『流転の果て』は読みにくくても、そういう著者の思い、反省、無力感が痛いほど伝わってきて、読み物としての訴求力は断然上だと思う。

 『流転の果て ニッポン金融盛衰記 '85-'98』

流転の果て~ニッポン金融盛衰記’85→’98 <上>

流転の果て~ニッポン金融盛衰記’85→’98 <上>

流転の果て~ニッポン金融盛衰記’85→’98 <下>

流転の果て~ニッポン金融盛衰記’85→’98 <下>

プラザ合意から拓銀破綻までを元日経新聞の記者が同時代史的に描く。

本書の味方に依拠すれば、三洋証券と拓銀の破綻までに公的資金を注入してソフトランディングさせるチャンスは何度かあった。しかし政治家の旗振りとマスコミの後押しがなくて大蔵官僚は動けなかった。そして終盤に進むにつれ、システミックリスクが現実化しつつあったがもはやどうすることもできなかった、というような諦念、無力感が繰り返されるようになる。

読み終えて虚しさと腹立たしさがこみあげてきた。著者は政治家(特に武村正義)とマスコミの不作為を批判している。

 『エコノミスト・ミシュラン』

エコノミスト・ミシュラン

エコノミスト・ミシュラン

けっこう古い本なので、河野龍太郎がリフレ派に分類されてたりする。

 『昭和恐慌の研究』

昭和恐慌の研究

昭和恐慌の研究

読了。金解禁時の旧平価解禁派と新平価解禁はの論争が今のデフレ派とリフレ派の論争とそっくりだ。もちろん著者たちがリフレ派なのでそう見えるように意図しているのもあるだろうが。
しかし岩田規久男氏が日銀副総裁候補になるなんて数ヶ月前には想像もできなかった。

 『入門 医療経済学』

入門 医療経済学―「いのち」と効率の両立を求めて (中公新書)

入門 医療経済学―「いのち」と効率の両立を求めて (中公新書)

経済学のツールを用いて医療をどのように語れるかという本だけど、やや期待はずれ。入門書なので物足りないのはしかたないか。
医療を経済学の切り口で見た時の特徴は、情報の非対称性、不確実性が非常に大きいということ。医師誘発需要という考え方も興味深いと思った。
概要はわかったのでより本格的な本に進もう。